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◆制作記◆

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現実世界とゲーム世界

私はインテリジェント・デザイン説の信者なんですが
ゲーム作ってると、地球を作った神も
こんな感じで作ったのかな~って

現実世界とゲーム世界の違いって
世界を構成する素材が、原子か電子かの違いだけで
0と1の組み合わせで動いてるとことか、同じなんですよね

規模は違っても、クリエイターと神(創造主)って
「世界を作る」っていうのは、やってること同じじゃないですか
神隠しとかって、ワープイベント間違って置いたのかなーとか
バグ直しきれてないなーとか、そんな感じで見ちゃったりして
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スマホゲームに手を出したいが

プレイする方じゃなくて、作る方です。
今やPCゲームよりスマホゲームの方がプレイ人口多いみたいじゃないですか
プレイヤー人口が多い方が、必然的に沢山の人にやってもらえそうだし
という安易な考えで

ツクールMVではスマホゲーム化も対応していると聞いて
ちょっと調べてみたら、手順は素人にはなかなか敷居高そう。
キーボードとタッチパネルじゃ
基本からして全然違うから、そりゃそうですよね

それ以前に、ツクールゲームをスマホ化した
ゲームプレイ画面の動画を見たんだけど、
バトル画面とか、小さすぎて何が起こってるかよくわからない
顔グラや立ち絵もめちゃ小さいし、文字も新聞並みに小さく、
選択肢もこれ、正確にタッチできるのか?
果たしてこの画面でRPGゲームを楽しめるのか?
という根本的な疑問が出てきた。

スマホは手軽なパズルゲームとか
放置育成ゲームなんかを楽しむのに向いてるかもしれないけど
操作が複雑なゲームや、絵が売りのゲームには向いてない気が…

絵や世界観にもこだわったRPGゲームは
やっぱりパソコンくらいの大画面でがっつりやってほしい!
心を込めて作ったご馳走は、一番おいしい形で食べてほしい!
レトルト食品は手軽で便利かもしれないけど、
素材の味をだいぶ犠牲にしてるじゃないですか。
PCゲーム→スマホ化したRPGゲームってそんなイメージ。
もともとがスマホ用に作られたRPGゲームだったら
そんなことはないかもしれませんが…

そんなわけでスマホゲームに手を出すのはやめとくことにします。
それ以前の以前に自分はスマホユーザーではなく(持ってない)
動作確認なんかも一切できないので最初から無理な話でした/(^ ^)\

あまなつの由来


あまなつという名前は、ゲーム作りを始めた当初
ハンドルネーム何にしようかなーと考えてた時に、
ちょうど甘夏の缶詰にハマっていたのが由来です。
甘夏の缶詰おいしいんですよ。甘すぎずちょっとほろ苦くて

白玉だんごと混ぜて、フルーツポンチ風にして食べるのが
おいしくてハマったんだけど、大玉みかんの缶詰ってお高めで
1缶400円くらいするじゃないですか
だからなかなか食べられないというのもあって、
甘夏フルポンはご褒美のごちそうスイーツです(๑´ڡ`๑)
今は手元に缶詰ないので、代わりにハーゲンダッツ甘夏味

オレンジ色と思って開けたら白かった(けど味は甘夏味)

猫寺(^ΦωΦ^)

行ってきたので写真を載せてみる。

エサの時間が近づくと
どこからともなく集まってくるニャンコ達。


エサキタ━━━(゚∀゚)━━━ !!!
ニャンコ達興奮。


ふてぶてしさが売りの看板猫。


仏のような猫。


野良とは思えない美しい猫。


ちゃんと手入れをしてもらっているのか
綺麗めな猫さんが多め。
お触りOKだったのでたくさんナデナデしてきました(=^ω^=)

私の中に降るもの

アイデアの断片だけはいっぱい降って来るものの
自分には作り上げる・まとめるの才能が乏しい。
毎日降っては消えていくものを見送るしかできない
自分の無力感が悲しくなったりもするし、
ただそれらを無駄にしたくないという執着心だけで無理に作ってる気もする。

たとえば太宰治が筆を持っていなかったら
ゴッホがキャンバスを与えられなかったら
ショパンがピアノのない世界に生きていたら
発狂したり病んだりしても全然おかしくないと思う

自分の中に湧くものを外に出せる手段がなければ
それは自分の内で膨れ上がって手の付けられないものにさえなる

それは生まれながらの才能やツールを与えられなかった者の宿命かもしれない
一握りの運と才能に恵まれた人以外の
大半の人はそういう宿命だって受け入れないといけないのだろう

でももし自分にもっと才能があったなら、運や環境もあったなら、
アイデアのカケラをムダにせず生かすことができたんだろうなと
今更どうしようもないことを悔やみつつ
ないものねだり夢想する。

勇者になって分かったこと(夢)

ゲーム作りばっかりしてると、たまに
自分がゲームの中に入ってダンジョン探索とかしてる夢を見る。
アニメばっか見てる時は、アニメ世界に入って
普通に二次元キャラとしゃべってたりもする。
現実世界で起きてる時は大好きだったキャラでも
なぜか夢の中だとそうでもなくなってて、
近くにいてもスルーして、起きてから悔やんだりする

ある日ゲームの中に入って、自分が勇者になった時の話。
普通ゲームの中って普通に楽しそうじゃないですか?
ダンジョンとか戦闘とかアイテムゲットとか
でも操作されてるキャラ側になると全然違って、
角曲がったら、いきなり獰猛なモンスターとか
切りかかってくる敵とかにエンカウントするので、
おもしろいどころじゃなく、恐怖トラウマ体験の連続。
剣持って追いかけられたら、マジで怖いんですよ!

怖すぎてダンジョンに入りたくないので村に引きこもってたら、
長老みたいな人に進めって怒られました。
しょうがないので、主人公だけど一番後ろに並んで、仲間を盾にして進みました。

<勇者やって分かったこと>
ダンジョンめちゃ怖い。
モンスターふざけんなってくらい怖い。
勇者はたぶん角恐怖症。
一回死んだらもう行く気になれない。
勇者本人は全然楽しくない。

生もの

何年もかけてゲーム作ってると
時が経つほどにゲームの様相がどんどん変化してしまう
それは作者の心境の変化とか、世間の流行りの変化に合わせて
ってやってると、どうしても制作開始当時に思い描いてた
完成像と同じようにはならないし、置いといたら勝手に
変質してしまうので、ゲームは生ものだなぁと思う。
ブログや日記も同じで、
その時の心境はその時しか抱けないものだから
忘れないうちに書き留めておかないと忘れてしまう。
時が経って変化することを淋しいことと思うか
喜ばしいことと思うか、たぶん現代世間では
変化の方が歓迎されると思うんだけど、
自分はどちらかというと変わらないものを大事にしたい派で
もっともっとと新しいものを求めるんじゃなくて
今あるものを大事にして、今あるものに満足できる心でいたい。
そういう気質はクリエイター向きではないんだろうけども